三人会裏話

'07.7.18 藤岡

 三人会開催のリーダーを任され、長期間かかってしまいましたが何とかやり終えることができました。その経緯を忘れないうちに紹介しておきたいと思います。

1.三人会開催の決定

 '05年12月名古屋コーラーズ総会が開催され、その中で「久しぶりに三人会を開催しようではないか」という議題が出た。「今まで担当したことがない者が担当する」ということであった。ちょっとやばい話になったと思ってはいたが、「岐阜地区の三人がよい」ということになり、お鉢が回ってきてしまった。どうも事前に裏で話ができていたような気もするが、1度は経験しなければならないことなので承諾した。「三人の誰かがリーダーを務めなければならない」と言ったら「お前やれ」という答え。

2.会場と日程の確保

 1) パーティーを行なうには会場が必要なので、中部支部の行事一覧表の空いている日程を探し、'06年6月にアイプラザ一宮を予約した。3人で準備委員会を開催し、準備項目を決めた。名古屋コーラーズの例会で実施予定を報告し、そろそろチラシを発行して各クラブへ連絡しよう、とした矢先同一日に或るクラブのアニバーサリーパーティーが日程変更して中部支部幹事会で発表されてしまった。

 2) 名古屋コーラーズの次の例会で延期するよう提案し了承されたが、「10月のコーラーズ例会予定日が空いているので、そこで開催を検討せよ」とのことであった。しかしあまり期間もなく会場も探したが空いていない。そうこうするうちに他クラブのパーティー開催がその日に決まった。

 3) 比較的パーティーのない'07年2月に開催することを決め、会場を6ケ月前に予約した。案の定これもしばらくして中部支部愛三岐地区のDo Sa Doパーティーが会場都合で同じ日に変更され、再度会場の日程を3月に変更してもらった。しかしこの変更を名古屋コーラーズ例会で報告したところ、「全日本SD講習会と同一日はまずい」ということになった。全日本講習会へ行く人数は限られているので三人会のようなローカルのパーティーは差し支えないと思ったが、やむなく取り消さねばならなくなった。会場取り消し時には担当者からきつい言葉も受けた。この段階では一時開催する意欲が失せてしまった。

 4) 名古屋コーラーズの'06年12月総会で再度開催指示があり、もう一度出直すことにした。過去の失敗を繰り返さないため、会場をとることは後にしてまず日程を決めることにした。中部支部の行事一覧表に予定がない6月半ばの日曜に決め、準備を始めた。日程を各クラブに知らせるには中部支部幹事会で発行される行事予定表に記載してもらうのがよいが、5月までは待てない。それには中部支部ホームページの「中部支部内の行事」欄に記載してもらうのがよい、ということが色々な経緯からわかった。そのページを確認すると空いていた6月半ばが他クラブのパーティー日程変更により埋まってしまっている。仕方がないのでそのクラブの移動前の日程7月8日に決め、ここへ「名古屋SD協会・名古屋コーラーズ部会」を冠して三人会パーティーを登録した。これで日程に関しては確保できた。

 5) このあとは会場であるが、「アイプラザ一宮」はミソをつけてしまったので、岐阜地区で予約することにした。岐阜サンデーの田中氏に会場予約を協力願った結果、比較的予算的に有利な「ウエルサンピア岐阜」を予約できた。これでようやく安心して準備に入れることになった。

 6)この後は3人で喫茶店等を利用し、打合せを行って分担や進め方の原案を作成し、名古屋コーラーズ例会で承認を得る、という方法をとって進めた。

3.準備

 1) チラシの案を作成した。少しは他のチラシと違ったものを、と思いタイトルのフォントを少し変ったものにし、レイアウトも斜めに配置した。我々三人はあまり顔を知られていないので顔写真付きとした。ほぼ原案通りのものに決定した。
 2) 近隣のクラブへ配布すると共に近隣のパーティーにチラシを置いた。また名古屋SD協会初踊りをはじめとして、コールの機会があるごとに三人会の開催の宣伝に努めた。

 3) 3人で準備の担当を分担したが、私は会場の背景看板を作成することになった。案を作成し提案したところ、これで行こうということになった。実際には大きな文字を印刷することができないし、分割して印刷するにしても赤を全面印刷するのはインクの無駄である。では赤い紙に分割して印刷してはどうか、ということになるが、白のインクはパソコンにはないので赤い紙に白の文字が書けない。そこで赤の紙にまず分割して印刷し、その上に白い紙に印刷したものを切り抜いて貼り付ける、という方法をとることにした。
 赤いB紙を探したがあまり鮮やかな赤はなかった。一番赤みの強いものを発注し、入手した。パソコンのプリンタはA4サイズしか印刷できないので、赤B紙をA4サイズに切り、これを6枚使って1文字作ることにした。3文字あるので18枚に分割して印刷貼り合わせた。さらに白い紙で18枚に分割印刷し、白い部分だけ切り抜いてこれを赤の紙に貼り付けた。この貼り付けにスプレー糊を使用したところ、貼り付けは簡単にできた。これで背景は赤、文字は白で影付き、そこそこのものが出来上がった。

 4) 当日の仕事は色々あるが、これは自分達のクラブに依頼するしかない。幸い名古屋コーラーズからの申し出もあり、会費面で恩典が与えられることになり、頼みやすくなった。受付、機材、会場、スナック、駐車場等の仕事をお願いした。

 5) プログラム面では7割方の時間を3人で使い、残りをコーラーズ・キュアーズに依頼することにした。コールについては2人でSinging Callを行なうことと、各自何か1つテーマを決め少し変った趣向のダンスを行なうこととした。また奥村氏と藤岡はRDのキューイングも行なうこととした。コーラーズ例会でこの計画を報告し、了承を得た。そのとき「MCでも何でも支援しますよ」という心強い言葉ももらった。

 6) 折から桑名SDC N氏が「手持ちのコーラー台を処分したい」とのことであったのでこれを貰い受けた。90cm四方x40cm高さのねじくぎで固定したもので私の車には1個しか入らないものであった。とりあえずねじくぎをばらして持ち帰った。全部で4個あり残り2個はN氏が私の家まで運んでくれた。当日はこれを2個使用することにし、折りたたみ式に改造した。側板は2辺づつを蝶番でつなぎ、これをピンで結合する構造にした。天板は90cm四方では大きすぎるので電動ノコで2分割した。そうしたら中央がたわむようになり、あわてて木材をホームセンターで買ってきて補強した。また運搬を容易にするため、キャスターを取り付けた。当日は会場が体育館であり、舞台がなかったのでこれが役にたった。

足場裏へキャスタ取付け ピン結合部 1台分をまとめた形

4.コールの練習

 1) Singing Callは自分で好きな曲を5曲ほど選んで再練習し、例会で順にリハーサル代わりにコールした。今回は折角の機会なので、Singing Callを2人で行なうことを決めた。しかしこれはあまり経験が無かったので、まず曲を決め通勤中車の中で数十回練習をした。その後奥村氏とあすか例会で数回練習させてもらった。

 2) 変った趣向のダンスとして、最近フォークダンス連盟中部近畿からCDが紹介され、その中に「バリから来た娘」という古いスクエアダンスがあったので、私はこれを行なうことにした。幸いこれはSDを始めた昭和40年ごろ踊ったことがあったので、ちょっと難しい「4人のDo Si Do」が使われているものの、何とか15分程度あれば紹介できそうだった。
 岐阜サンデーのLab.やあすかの例会で紹介し指導方法を検討した。また月曜C例会のメンバーにモデルを依頼し、ここでは3回ほど練習を行なった。「4人のDo Si Do」は昔購入したLloyd Shaw著”Cowboy Dances”に写真入りで動きが説明してありこれが参考になった。これは4人のHalf Sashayしたサークルから女性が左肩で通りすぎ、左手回転→右手回転→カートシーターンというDo Pasoと似た動きである。「Do Paso」は「El Paso地方で行なわれていたDo Si Doである」ということを聞いたことがあるので同じ起源であろう。何回リハーサルをしても「4人のDo Si Do」はまごまごする人が居る。このほかスタイリングが異なる箇所がいくつかあり、当日時間内でできるかどうかちょっと不安は残った。

 3) RDは幸か不幸か、一宮SDCはRDのキュアーが居ないので、RDのキューイング練習にはもってこいであり、易しいものを行っては練習した。但し客観的に見て注意してくれる人は居ない。

5.当日間近

 1) 1ケ月前会場に出向き、食事・スナック、冷房、机・椅子の配置等会場担当者と相談した。スナックは場内で行うことにした。以前サンデーで使用したとき、音響があまりよくなかったので、後部スピーカーも配置することにした。

 2) 2人のSinging Callは不安が残り、1週間前に小会場を借りて2時間ほど小池氏を含め練習を行なった。奥村氏とのSinging Callは高音側を私のパートでもやってみたが、結論は奥村氏が高音パート固定で行うことに決めた。ハーモニーを歌うのにはまだまだ練習が必要である。またこのSinging Callは私と奥村氏で使用レコードのレーベルが違い、言い回しに微妙な差があるので、急遽奥村氏のレコードの言い回しに統一することになった。これから一週間をかけて再練習である。
 このとき背景看板を見てもらうために、持って行った。巻いていたものを開いたところ、スプレー糊で貼り付けたものが、はがれてしまっていた。もう一度普通の糊で貼りなおすはめになった。このスプレー糊は貼ったり剥がしたり簡単にできる代わりに、接着力は一時的な効力しかないもののようだ。(スプレー缶の説明書を改めて読んでみるとその通りの文面があった)

 3) 名古屋コーラーズへ代表からプログラム案を提示し、コーラー選定を依頼したが、ここで少しクレームがついた。「3人の時間配分が少ない」、「MCは3人ですべき」、等々。MCは3人で全て行うことにしたが、配分は先のコーラーズ例会で承認済みであったので、そのままで了承となった。

 4) 準備のもれ・分担の相違がないか、準備事項の一覧表を作成し、奥村・小池両氏に配布し確認してもらった。

6.当日

 1) 背景看板は当日開いてみるとまた少し文字が剥がれていた。こういうこともあろうかと思い、糊を持ってきていたので即貼りなおした。体育館観覧席手すりに張り付け、会場から見てみるとちょっと小さいように見えた。紙の色もさらに赤みが乏しく見えたが、今となっては仕方がない。

 2) コーラーの踏み台はやや小さめではあるが、割合しっかりしており、幸い安心して乗れる感覚であった。

 3) 駐車場案内、スナック、受付は両クラブの者がきちんとやってくれ安心して任せておけた。

 4) 最初のコール・MSは最近あまりコールしてなかったが、のどの調子は良かったので久しぶりにCowboyをコールした。会場の音響が少し心配であったが、後部スピーカーも配置した結果かそれほど問題があるレベルではなかった。

 5) RDの時間になった。1曲目Ascot's Rumbaは無事終了した。2曲目Funny Faceは少し前説明を行い、音楽をスタートさせたが事前に音量調整を行わなかったため、1曲目と録音レベルに差があり、非常に大きな音が出てしまった。あわててボリューム調整を行おうとしているうちにキューイングがお留守になった。しかたがなく音楽を止め、やり直しとなってしまった。SDのように暗誦しておればよかったが、キューを読んでいたので対処ができなかった。キューイングに入る前に前もって音楽を演奏しレベル調整しておくべきであった。パソコン内音源そのものもSD音楽は録音時レベルを一定にしてあるので音源ごとの差はあまりないが、RD音楽は録音レベルが合わせてなかったのが原因だ。

 6) Plus チップは特に問題はなかった。Singing CallはSmall Worldを使用した。コールが終わった後、「さあ踊ろう」とセットに入ったら、「MCが居ないので、代わりに次のコーラーを紹介します」と小池氏の声、プログラムを改めて確認するとMCは私であった。Singing Callが終わるもそこそこに舞台へ駆けつけ、コーラーにお詫びをした。

 7) Classic SDの時間が来た。最初の挨拶の部分はモデルセットで見せ、理解してもらった。4人のDo Si Doであるが、モデルカップルのリハーサル時に何度も間違いがあったので、即モデルを見てもらうのはためらわれた。(別途モデルだけで練習したようなのでやって見てもらったほうがよかったかも?) #1〜#4カップル順次主役になって一通り通したが、一部のセットではうまくできないところも見られた。しかし時間も気になるので、そのまま音楽をスタートさせた。練習のときはコールもSequenceをしばしば間違えたりしたが、幸い本番は間違いなく終えることができた。時間も超過せずに済んだし、セットを見渡していても止まっているようなセットもなく、踊られていたようで安心した。

 8) セレモニーでは、土居コーラーズ代表、富田全国理事の挨拶もいただいた。その後司会をしていた小池氏から突然私に「応えの挨拶をせよ」とマイクを回された。心の準備がなかったので何かわけのわからないことを口走ったが、これは心臓によくない。参加人員は126名で目標100名をどうにか超えられほっとした。

 9) 最後の2チップは最初が小池氏とSinging Call、”Make the World Go Away”。 Singing Callをほとんどコールしない小池氏だが、よく練習してくれてほぼ順調に行った。続いて最後のチップは奥村氏とのチップ。Hashは”If You Can...”を久しぶりに行った。その後この日のために練習した”Mountain Music”を2人でコールした。無事終了し期せずして?アンコールの拍手をもらい、Tennessee Waltzで締めくくることができた。

以上

 

inserted by FC2 system